びぃずの映画な日常

映画の感想を書きます。あくまで個人的な感想ですので悪しからず。

さくらん

きよ葉は8歳のときに吉原の玉菊屋に連れてこられる。
脱走を試みるきよ葉に清次は「吉原の桜が咲いたらここから出してやる」と言った。
遊女として順調に出世していったきよ葉は、武士の倉之助に求婚される。
吉原を出るチャンスだが、きよ葉は乗り気ではなく……?

 


淡々とお話が進んでいって、終盤までは何を伝えたいのかわからなかったのですが、テーマは「主体性を持つこと」でしょうか。
きよ葉は一見活発で能動的な性格に見えます。
しかし、物語を追っていくと意外と周りに流されてばかりいるようです。
(環境的に仕方ないとは思いますが。)
きよ葉は、トラブルがありつつもなんだかんだ登り詰めて花魁になり倉之助に見初められて吉原を出られることになります。
きよ葉の目標は吉原を出ることですが、倉之助によって吉原を出られるというのに清次と駆け落ちしてしまいます。
きよ葉は吉原に売られて間もないころ、清次から「吉原の咲かない桜が咲いたらここから出してやる」と言われました。
結局桜が咲いて清次と吉原を出ることになり、ここでも他の物にイニシアチブを握られているように感じるかもしれません。
しかし、吉原の桜はきよ葉の精神のメタファーなのではないでしょうか。
御隠居は死の間際に桜の話をしたのではなく、きよ葉の心に語り掛けたのだと思います。
吉原の桜が咲くというのはきよ葉が諦めの気持ちから脱し、自発的に動いて吉原を出ることを表しているのだと感じました。
だから倉之助が咲かせた桜では意味がないのです。

ストーリ全体については、次から次へとイベントが発生するので見ていて飽きません。
ですが、取り留めがなく感じました。
最後まで観ると、きよ葉が度重なるトラブルに疲れ、望まない縁談を受ける精神状態になっていく過程を描いているように見えます。
しかし、途中までは単純に遊女の日常を見せられているようで物語にまとまりがないと感じていました。
その他物語の本筋以外について、結構簡単にきよ葉が花魁になっていて少々肩透かしではありました。
元々花魁になるというのは、本来きよ葉の目標ではないから物語の中で軽く扱われるというのは理解はできるのですが。

演技やビジュアルについてです。
主演俳優の容姿があまり遊女のイメージに合わないと思っていました。
しかし、きよ葉の性格には合うし、似たような髪型着物の女性達の中で彼女の顔立ちは目立つのでこの役にはぴったりだったのだと思います。
台詞は少し棒読みだと感じるところがありましたが、表情の演技は上手かったです。
この映画は画面作りや表現方法が独特で、美しいシーンが沢山ありました。
監督の普段の作風とも言えますが、特にこの作品の美術ではわざと作り物感を演出していると思います。
吉原の中は現実感のないビジュアルでしたが、外の世界は普通の時代劇のようです。
さくらんにおける吉原美術なカラフル障子から桜が覗くシーンは特に印象に残っています。
外の世界に手が届きそうなのを視覚で表していて、吉原と外の美術の差を最も効果的に使ったシーンだと思いました。